美国占领军主导的日本战后改革,不仅完整保留了日本政府机构,而且在制度体制等方面对战前和战时具有一定的继承性,这是一个不争的事实。不仅作为战后经济民主化改革“三大支柱”的解散财阀、农地改革、劳动改革可以在战前找到某些政策原型,而且即便是上文主要涉及的财产税法,战前的日本政府也曾经一再进行研究论证,并先后翻译出版了德国财产税法和意大利财产税法。然而,一个不可回避的问题是,如果没有美国占领军的强力主导,日本是否能够真正推动后来的战后改革?日本是否能够实施如此激进的财产税法和颁布和平宪法?
首先,战后改革是美国资产阶级按照自己的理念设计的,其改革目标是摧毁日本法西斯政权和军国主义的经济基础。美国占领后期的政策转变并不是对前期政策的全面否定,也没有触及和平宪法、财产税征收、劳动改革等根本性内容。战前日本历史上曾经出现大正民主运动,战时体制下的反财阀浪潮,劳动立法相关的政策动议,虽然都可能成为战后改革的政策原型,但充其量不过是政策素材和参考资料。大日本帝国宪法体制下的战前体制既不能为战后改革提供动力支持,也不足以直接衍生出战后日本的现代体制。
其次,在战后改革中,日本的政府机构虽然作为政权形式被保留并延续下来,美国占领军对日本战犯的整肃也不够彻底,甚至可以说遗患无穷。然而,战后改革时期的日本政府,特别是民主宪法后建立的日本政府,绝不是战前法西斯政府的简单延续。一方面,它不得不接受美国占领军的指导;另一方面,在战后日本宪法体制下,政治运行机制,政治家和官僚的构成人员等都发生了很大变化。那些曾经享受封建特权的皇族、华族、士族被迫退出历史舞台,日本社会的上层建筑主体和阶级基础发生了重大变化。
总之,战后改革是在美国占领军主导下由日本政府推动的,是针对日本天皇制法西斯主义政权和军事帝国主义的经济基础而进行的根本性变革,是按照美国的民主模式和治理理念而进行的一次资产阶级民主主义革命。虽然1948年以后美国转变对日政策导致了战后改革的不彻底性,虽然日本政府对美国占领军的指令不断讨价还价,并尽量按照日本政府的意志去解释和实施,但这些都不足以决定和改变战后改革的革命性质。日本战后改革是一个系统性综合工程,它包括制定民主宪法、财产税征收、解散财阀、农地改革、教育改革、劳动改革、解放妇女等一系列政策措施和制度构建。尽管各项政策措施和制度构建推进程度不一,社会影响各异,但它们共同构成了日本战后改革的整体。
注释
[1]山田盛太郎「農地改革の歴史的意義」1949年、『山田盛太郎著作集,第4巻』岩波書店、1984年、第3頁。
[2]森武麿:「戦前と戦後の断絶と連続:日本近代史研究の課題」『一橋論叢』第127巻(6)、第639—654頁。
[3]岡崎哲二、奥野正寛:『現代日本システムの源流』日経出版、1993年。
[4]野口悠紀雄:『1940年体制:さらば戦時経済』東洋経済新報社、増補版、2010年12月。
[5]山之内靖:『総力戦体制』筑摩書房、2015年。
[6]橋本寿朗「戦後経済50年—2—「1940年体制」は現在と直結していない」『エコノミスト」73(19)1995年5月9日号、第68頁。
[7]浅井良夫「日本の戦後経済改革」『土地制度史学』別冊1999年9月、第93頁。
[8]森武麿:「戦前と戦後の断絶と連続:日本近代史研究の課題」『一橋論叢』第127巻(6)、第639—654頁。
[9]俞辛焞:《试论日本的战后改革》(上),《世界历史》1980年第5期,第12—19页。
[10]田桓:《日本战后体制改革》,经济科学出版社,1990年,第515页。
[11]杨栋梁:《论日本战后型经济体制的形成——兼评“1940年体制”》,《南开学报》2004年第5期,第66—77页。
[12]吴杰:《关于日本战后改革研究的若干意见》,《日本研究》1985年第4期,第73页。
[13]张健:《试论日本战后改革的不彻底性》,《日本学刊》2004年第1期,109页。
[14]冯玮:《再论战后日本经济体制的特征、问题及改革——对战后日本经济体制的历史学分析》,《北京行政学院学报》2004年第6期。
[15]高石末吉『夢の財産税:破れた戦後の混乱拾収策』時潮社、1975年、第1頁。
[16]林荣夫『戦後日本の租税構造』有斐閣,1985年。
[17]広田四哉「地主の解体と財産税」『土地制度史学』35(1)、14—32頁、1992年10月20日。
[18]广田四哉:「旧資産階級の没落」中村正則等编『占領と改革』岩波書店、2005年。
[19]南亮進「所得分布の戦前と戦後を振り返る」『日本労働研究雑誌』2007年May、No.562。
[20]末川博『戦後二十年史資料——法律』日本評論社、1971年、第13頁。
[21]向坂正男『昭和経済史』(中)有沢広巳監修、日本経済新聞社、1994年、第18頁。
[22]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』第17巻資料、東洋経済新報社、1981年、第517頁。
[23]向坂正男『昭和経済史』(中)有沢広巳監修、日本経済新聞社、1994年、第56頁。
[24]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』第7巻租税、東洋経済新報社、1977年、第65頁。
[25]日本国会図書館ホームページ:「帝国議会会議録」1946年10月5日。http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/
[26]广田四哉「旧資産階級の没落」、中村正則他『占領と改革』岩波書店、2005年、第147頁。
[27]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』19統計、東洋経済新報社、1981年、第284頁。
[28]平田敬一郎『租税制度』学陽書房、1952年、第93頁。
[29]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』第17巻、東洋経済新報社、1981年、第683—684頁。
[30]井上一郎「改正税法のすべて昭和21年2—2:経済再建計画のドラフト」『税大論叢 』29号。
[31]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』19統計、東洋経済新報社、1981年、第280頁。
[32]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』19統計、東洋経済新報社、1981年、第290頁。
[33]柴垣和夫『日本金融資本分析』東京大学出版会、1965年。
[34]持株会社整理委員会編『日本財閥とその解体』記述編、1951年。
[35]持株会社整理委員会編『日本財閥とその解体』資料編、1950年。
[36]林荣夫『戦後日本の租税構造』有斐閣、1985年、第63頁。
[37]庄司俊作『日本農地改革史研究』御茶の水書房、1999年、第19頁。
[38]農地改革記録委員会『農地改革顛末概要』農政調査会、1951年。
[39]町步:日本面积计量单位,相当于9917平方米。
[40]广田四哉「旧資産階級の没落」、中村正則他『占領と改革』岩波書店、2005年、第122頁。
[41]E·M·ハードレー『日本財閥の解体と再編成』小原 敬士、有賀 美智子訳、東洋経済新報社、1973年。
[42]广田四哉「旧資産階級の没落」、中村正則他『占領と改革』岩波書店、2005年、第114頁。
[43]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』第17巻、東洋経済新報社、1981年、第19頁。
[44]大蔵省財政史室編『昭和財政史:終戦から講和まで』第17巻資料、東洋経済新報社、1981年、第454頁。
[45]黒田久太『天皇の財産』三一新書、1966年。
[46]高橋紘,鈴木邦彦『天皇家の密使たちー秘録 占領と皇室』徳間書店、1981年。
[47]酒井美意子『ある華族の昭和史』主婦と生活社、1982年。
[48]向坂正男「制度改革の時代」有沢広巳監修、『昭和経済史』(中)日本経済新聞社、1994年、第18頁。